近年、「静かな退職(Quiet Quitting)」という言葉が話題になっています。これは、会社を辞めるわけではないのに、仕事に対して必要最低限のことしかしなくなる働き方を指します。たとえば、就業時間外のメール対応をやめたり、自発的な業務提案を避けたりするケースがそれにあたります。
日本でもこの考え方は少しずつ広がっており、特に30代から40代の社員層を中心に注目を集めています。背景には、「頑張っても評価されない」「会社に尽くしても報われない」といった職場への不満や、「自分の生活を大切にしたい」という価値観の変化があります。
たとえば、あるIT企業の社員は、かつては深夜まで働き続けることが当たり前でした。しかし、コロナ禍を経て「家族との時間」や「自分の健康」の重要性に気づき、今では残業を一切せず、定時で業務を終える生活へと切り替えたそうです。
このような行動は、単なるサボりではありません。むしろ、自分のリソースを守るための現代的な働き方の選択とも言えます。では、この「静かな退職」が企業にとってどのような意味を持つのか。そして、社員や組織全体にどのような影響を与えるのか。
本記事では、その背景と原因を解説しつつ、企業や社会に与える影響、そして未来の働き方の可能性について、具体例や調査結果を交えて分かりやすく紹介していきます。
静かな退職とは何か?新しい働き方の背景と定義
「静かな退職(Quiet Quitting)」とは、仕事を辞めるわけではなく、与えられた業務の範囲を超えない働き方を指します。近年、世界的にこの考え方が広まりつつあり、日本でも少しずつ浸透しています。特徴的なのは、「やるべきことはきちんと行う」が、「それ以上のことは求められても応じない」というスタンスです。
かつての日本社会では、長時間労働や上司への忠誠心が評価の対象でした。しかし、今の時代は違います。働き方改革やワークライフバランスの重視が進むなか、社員は「仕事中心の生活」から「自分の人生を主軸に置く生活」へと価値観を移行させているのです。
この流れの背景には、コロナ禍によって急速に普及したリモートワークの影響も無視できません。通勤が不要になったことで、「時間の使い方」や「働く意味」を見直す人が急増しました。「会社のために働く」から「自分のために働く」へ──。静かな退職は、まさに現代の働き方の縮図とも言える現象です。
日本における静かな退職の注目とその特徴
日本の職場文化は、世界的に見ても独特です。上司や同僚との関係性を重視し、周囲の期待に応える働き方が長く続いてきました。そのため、「静かな退職」は一見すると受け入れにくい行動のようにも見えます。
しかし、実際には多くの日本人がこのスタイルに共感し始めています。背景には、成果主義が浸透しきれていない人事評価制度や、長時間労働が当たり前の職場風土に対する不満があります。特に、20代・30代の若手世代では、「やることをやっていれば評価されるべき」と考える傾向が強く、不要な“プラスアルファの努力”を避ける動きが広まっています。
たとえば、ある広告代理店に勤める30代男性は、「定時以降に発生する雑務や上司のサポートは“自分の業務”ではない」と感じ、ある日を境にそうした対応を断るようになりました。すると、最初は周囲に戸惑いが広がりましたが、次第にその働き方が「効率的」と評価され始め、結果的に他の社員にも影響を与えるようになったそうです。
このように、静かな退職は個人の働き方を見直すだけでなく、職場全体の価値観にも変化を促す力を持っています。日本社会においても、その波は着実に広がっているのです。

企業と職場への影響と静かな退職がもたらす変化とは
「静かな退職」が広がることで、企業や職場にはどのような影響が生まれるのでしょうか? その答えは一様ではありませんが、共通して見られるのが、チーム全体の生産性低下と組織内のコミュニケーション不足です。
従業員が最低限の業務しかしなくなると、本来は他者と協力して取り組むべき業務が滞ったり、イレギュラーな対応に柔軟性を欠いたりすることが増えます。特に、属人化が進んだ日本の職場では、「助け合い」「察する」「空気を読む」といった非言語的なやりとりが業務を支えてきたため、そのバランスが崩れると影響は大きくなります。
さらに、企業全体の成長意欲やチャレンジ精神も薄れがちになります。なぜなら、社員が自己裁量で業務範囲を限定するようになると、新規事業や改善提案などの「プラスαの行動」が減るからです。これは、企業の競争力低下にもつながる重大なリスクです。
一方で、静かな退職によって「本当に必要な業務だけに集中できる環境が整う」という側面もあります。無駄な会議や、意味の薄い報告業務などを見直すきっかけとなり、職場の効率化が進む可能性もあるのです。
従業員の不満とモチベーション低下の関係
なぜ人は静かに退職するのでしょうか?その根底には、長年蓄積された職場への不満があります。特に多いのが、「評価されない」「認められない」「報酬が上がらない」といった声です。
たとえば、ある製造業の社員は、10年間会社に尽くしてきたにもかかわらず、昇進も昇給もないまま業務量だけが増えていったそうです。その結果、「頑張っても意味がない」と感じ、やがて最低限の仕事しかしない働き方へと変わりました。
このようなモチベーションの低下は、目に見えないだけに経営側も気づきにくく、結果として対応が後手に回ることが多くあります。また、こうした働き方が周囲に伝播すると、組織全体に停滞感が広がり、若手社員の離職にもつながりかねません。
さらに問題なのは、こうした状態に陥っても、従業員が声を上げずに我慢し続けることです。いわば“静かな悲鳴”が職場に響いている状態であり、これは組織として見過ごすべきではありません。
静かな退職は、単に「やる気のない社員」の話ではなく、組織全体の課題を映す鏡でもあるのです。

社員のキャリア意識と静かな退職の関連性
「静かな退職」が広がる背景には、社員一人ひとりのキャリアに対する考え方の変化があります。従来、日本の企業では「長く働けば安定する」「上司に従えば昇進できる」といったキャリアモデルが一般的でした。しかし、終身雇用の揺らぎや成果主義の導入により、その前提が大きく崩れています。
近年は、自分の時間やスキルをどこに投資するかを自ら判断し、「会社に尽くす」よりも「自分らしい働き方を追求する」という価値観が主流となりつつあります。つまり、キャリア形成の主導権を会社ではなく、自分自身に取り戻そうとする動きです。
たとえば、IT業界で働くある女性社員は、「管理職を目指すのではなく、自分の専門性を磨くことこそがキャリアの軸」と語っています。その結果、昇進よりもライフスタイルを優先する働き方を選び、静かな退職に近いスタンスを取るようになったのです。
このように、社員のキャリア観の変化は、企業にとっては無視できない重要なシグナルです。今後の人材戦略においては、こうした意識の変化を前提にしたアプローチが求められます。

30代社員の仕事観と価値観の変化を読み解く
特に顕著なのが、30代社員層における価値観の変化です。この世代は、バブル崩壊後の就職氷河期を間接的に経験しつつ、SNSやITの急成長と共に育った層でもあります。彼らにとって、「長時間働く=価値がある」という考え方はすでに時代遅れとされつつあります。
最近の調査でも、30代社員の多くが「会社のために働くより、自分の経済的自立や生活の充実を優先したい」と答えています。また、「やりがい」や「成長」の代わりに、「安心」「安定」「無理のない範囲での貢献」を重視する傾向が強まっています。
さらに、30代は家庭を持ち始めるライフステージでもあります。家族との時間を大切にしたいという思いが強まり、過剰な労働や犠牲を強いる働き方から距離を取るようになります。結果として、熱意を表に出さず、黙々と与えられた業務だけをこなす──そんな静かな退職のスタイルに近づいていくのです。
企業としては、この世代の社員がどのような情報を基に判断し、どのようなキャリアのポイントを重視しているのかを把握し、柔軟な働き方や評価制度の見直しを検討することが、今後の組織運営における鍵となるでしょう。
静かな退職への企業の対策と働く意識の再構築
静かな退職が広がる中で、企業に求められているのは「やる気を引き出す環境づくり」と「社員との信頼関係の再構築」です。単に「モチベーションが低い」と片付けるのではなく、その背景にある職場環境や評価制度への不満、そして個々の働き方に対する考えの多様性に向き合うことが重要です。
まず着手すべきは、「コミュニケーションの質の改善」です。上司からの一方通行ではなく、部下の声を汲み取り、日常的にフィードバックを交わす風土を育てることが、静かな退職の予防につながります。
次に重要なのが、社員が「認められている」と感じられる評価制度の見直しです。「頑張っても報われない」と感じる環境では、誰もがやがて最低限の業務にとどまろうとするものです。評価基準の明確化や、プロセスへの評価を取り入れることで、社員の納得感と安心感が生まれます。
また、福利厚生やキャリア支援制度の充実も効果的です。社員が「この会社でなら長く働ける」と思えるような、心理的安全性のある職場づくりが、結果として静かな退職を防ぎ、企業の活力を取り戻す鍵になります。

働き方改革と企業文化の見直しが鍵を握る
静かな退職への抜本的な対応には、単なる制度変更だけでなく、企業文化そのものの見直しが必要です。旧来型の「会社に尽くす」文化から、「社員が主体的に働ける」環境への転換が求められています。
その第一歩が「働き方改革」です。時間ではなく成果で評価する制度や、フレックスタイム制・リモートワークの導入など、社員の多様な生活や価値観を尊重する制度設計が効果を発揮します。制度があるだけでなく、それを使いやすい雰囲気を組織全体に浸透させることも不可欠です。
さらに、企業のトップ層が率先して意識改革を行うことも重要です。社員が安心して「NO」と言える空気があるか、自分のキャリアや生活について率直に話せる場があるか──そうした文化こそが、長期的に健全な組織をつくる礎になります。
たとえば、ある中小企業では「全員に年1回、自分の働き方に関するヒアリングシートを提出してもらう」取り組みを始めました。そこには業務の満足度や負担感、今後のキャリア希望などが記されており、経営層がそれをもとに人事戦略を調整しています。結果として離職率が下がり、社内の一体感が高まったといいます。
静かな退職は、組織の“声なきサイン”です。それを見逃さず、社員一人ひとりの「働く理由」に向き合うことが、これからの企業に求められる最も重要な姿勢なのです。
まとめと今後の働き方の展望
「静かな退職」という新しい働き方の潮流は、単なる若者の怠慢ややる気の欠如ではなく、時代の変化と個人の価値観の転換が生んだ結果です。企業にとっては、これを「問題」と捉えるだけでなく、「これからの組織運営を考えるヒント」として受け止めることが求められます。
従来のように、熱意や忠誠心を当然とするマネジメントスタイルは、もはや通用しません。社員が「働く意味」を自ら見つけ、納得して働ける環境こそが、組織にとっての本当の強さになります。
今後は、社員一人ひとりのキャリア観や生活スタイルに配慮した多様な選択肢を用意し、強制ではなく「選べる働き方」を提供することが、企業の持続的成長に直結します。そして、その実現のためには、評価制度・企業文化・組織の在り方すべてを見直す覚悟が必要です。
静かな退職は、企業と社員の間にある“沈黙のメッセージ”です。そこに耳を傾け、対話と改革を重ねていくことこそが、これからの時代を生き抜く組織の姿勢ではないでしょうか。
FAQs
- 静かな退職が増加している理由は何ですか?
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働き方改革の進行や生活価値観の多様化、会社への不満や評価制度への不信感が背景にあります。特に若手社員や30代・40代の世代でその傾向が強まっています。
- 企業は静かな退職にどう対策すべきですか?
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社員の熱意やモチベーションを引き出すために、柔軟な制度設計やキャリア支援、納得感のある評価基準の導入がポイントです。また、働く意味を共有する対話も重要です。
- 静かな退職は経済にどのような影響を与えますか?
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生産性の低下や人材の流動性増加が懸念されます。一方で、無駄な業務の削減や、社員の定着率向上に繋がる可能性もあり、企業経営の見直しが求められます。
- quiet quittingと静かな退職は同じ意味ですか?
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基本的には同じ概念です。アメリカで生まれたquiet quittingが、日本の職場文化に合わせて「静かな退職」と訳され、独自の広がりを見せています。
- どのような組織が静かな退職を引き起こしやすいですか?
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社員の声が届きにくい、上司との関係が希薄、評価が曖昧といった特徴のある組織では、静かな退職が起こりやすくなります。定期的な相談の機会や働く環境の整備が求められます。